猫の抜け毛ボール

いらないものを丸めて遊ぶ

やっぱり書き物と編み物って似てるよな

横溝〇史と三國〇里子が両サイドから言ってんだから間違いないよ。そして私もそう思う。編み物を始めたのはごく最近(っていってももう2年か)だけどもやった瞬間強くそう感じた。ただ編み図通りに編む場合は次の編み方について悩むことはそうないから厳密にいえば私がやってたのとはちょっと違うんだろうけど・・・ミク〇ッツのように自分でデザインして作ってる人にとってはもうめちゃめちゃ似た作業だろうな。あの、編み目をちまちまちまちま編んでってえーまじだるいって広げてみてみると、おっ結構できてきてんじゃん、みたいなあの感覚は小説書きにそっくり。まじでだるいんだけど編む作業自体は全然嫌いじゃないしできあがったときのあの感じが忘れられないんだよねー。あと不思議なことにここ変じゃんってなってもそれを結構好きになれるんだよな。小説に対してそれができるかな。う~ん

 

そんでごたごたいうまえにお前文章書いてんのって話なんだけどまあこの1週間ぐらいは頑張って続けるんじゃない?私のことだからライフワークにまでなるとはちょっとおもえないな。編み物が私の中で流行してたときもあれこれプロジェクトに手だしてそのうち1つがなんとかこんとか完成するみたいなそういう打率だったし、続いたとしても一過性な上、きちんと完成するまでいけるかわからない。ただ、編み物に関しては特に目標がないけど、小説は賞があるし締め切りがあるから、それを楽しみに頑張れたりするか?まあもう知らん・・・なんでもいいよ・・・書くの自体は嫌いじゃないの。むしろ結果とか生活とかそういうの意識しなきゃいくらでも楽しくやれる気がするよ(気がしてるだけ)いやすぐ撤回するけど無理だわ・・・もっとなんか追い詰められてないと書かない、生活において追い詰められて私はこう!!!!って書きたいことがないと書かない。難しいね。でも昔のように感情に追い詰められることはなくなったから状況はよくなってるはずだと信じたい。